弘大(ホンデ)エリアのアイデンティティーの一つに出版文化がある。同地には大手出版社に加えて独立系出版社やデザイン会社が集中しており、地域社会と出版文化が影響を与え合う有機的な関係にある。このように自然発生的に発達した出版文化は、弘大前に韓国初の独立系書店が生まれる背景になった。
街の本屋の元祖と呼ばれるサンクスブックス。2011年にオープンし、主に文化芸術界で働く20~30代のビジネスマンが訪れる。店主がデザイナーだったので、ユニークで洗練された本が数多くそろえられている。
© THANKSBOOKS
美術と音楽を中心に成長してきた弘大前は1990年代末、新たな変化を迎えた。広告、デザイン、漫画、放送、写真、映画、出版、ファッションといった文化産業の関係者や専門家が集まってきたのだ。その結果、弘大前は複合文化エリアとしての場所性を持つようになった。
特に弘大エリアには出版社が多く、そうした出版社直営のブックカフェは、単に本を販売して読書空間を提供する既存の店舗とは違った運営や活動を行っている。これもまた今日の弘大前における特徴的な風景だ。
自然発生的な出版文化
京畿道(キョンギド)坡州市(パジュシ)にある坡州出版都市は、およそ200社の中小出版社による組合が、出版産業の活性化のために公的支援を基に整備した計画的な出版産業団地だ。それに対して弘大前は、文化的な基盤が蓄積される中で、自然発生的に出版団地が形成されていった。
弘大前は坡州出版都市と共に、韓国で最も多くの出版関係者が集中している地域だ。かつて韓国の出版業界において二大出版社と呼ばれた「文学と知性社」と「創批(チャンビ)」もここにある。1970年に設立された文学と知性社は、1989年に西橋洞(ソギョドン)に移転して現在まで弘大前に社屋を構えている。1966年に文芸誌『創作と批評』を発行して出版業を始めた創批も、坡州出版都市に本社を置き、弘大前にソウル社屋を設けて様々な形で活用している。その他にも韓国有数の出版社が弘大前に集まっている。
1979年にオープンしたクルポッ(文友)書店。長らく弘大前に店を構えてきた老舗の一つだ。当初は芸術書が中心だったが、現在は多彩なジャンルの本を取り扱っている。
© 麻浦区庁
弘大前の出版文化が坡州出版都市と違う点として、地域社会と影響し合う有機的な関係が挙げられる。その代表例といえるのが、ソウル・ワウブックフェスティバルだ。出版関係者、アーティスト、市民が本をテーマにした多彩なプログラムで交流し、文化芸術体験を共有するイベントだ。2005年から毎年秋に開かれて、出版社、著者、読者、地域住民をつないでいる。また読書文化の裾野を広げ、出版産業と文化芸術産業の活性化にも貢献していると評価されている。
この事業を主催する社団法人ワウカルチャーラボは、弘大前の数多くの出版社や文化芸術団体と連携し、文化芸術活動を行っている。さらに、国際出版文化フォーラム、地域図書館の活性化に関する研究、社会人のための文化芸術教育など事業領域を多角化している。
出版社直営ブックカフェ
出版社が経営する弘大前のブックカフェは、本が好きな人たちにとって聖地だ。単なる自社出版物の紹介にとどまらず、複合文化施設へと進化している。代表的な例として「文学トンネ」のカフェ・コンマが挙げられる。韓国の大手出版グループ・文学トンネは、2011年に弘大前の駐車場通りにカフェ・コンマ1号店をオープンした後、流動人口の多い地下鉄の弘大入口駅前に2号店をオープンした。現在その2カ所は閉店し、弘大エリアでは合井洞(ハプチョンドン)と東橋洞(トンギョドン)に店舗がある。文学トンネは、ソウルの他の地域や首都圏でもブックカフェを運営している。
文学トンネが経営するカフェ・コンマ合井店。2010年代にカフェ文化が根付き、コーヒーと読書を楽しめるブックカフェが登場した。このような流れをリードしたのは出版社だ。図書の販売にとどまらず各種イベントを開催することで、読書文化の裾野を広げた。
ノーベル文学賞作家のジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオや大江健三郎がカフェ・コンマで読者と交流し、ファン・ソギョン(黄晳暎)、ハン・ガン(漢江)、閻連科(えんれんか)など国内外の著名な作家が講演会を開催してきた。さらに、企業の文化イベント会場やドラマのロケ地としての利用も多い。
創批も2012年からカフェ創批を運営している。同社のブックカフェは、協業が特徴だ。2021年からはライフスタイルデザインブランドのブラウンハンズとコラボレーションしている。ブラウンハンズがローストしたコーヒーに加え、職人が作った家具や照明器具によってクラシカルな雰囲気を味わうことができ、若者に人気だ。
また、文学と知性社は今年6月に西橋洞社屋の地下に「文知(ムンジ)サロン」をオープンした。同店は、コーヒーやウイスキーを楽しめるカフェとブックトークや講演を行うイベント会場で構成されている。
1階には郵便箱の並んだ「文知ポスト」があり、読者が作家に手紙を書いたり付箋でコメントを残したりできる。
独立系書店ブーム
弘大エリアで出版社のブックカフェと同様に注目されているのが、独立系書店だ。弘大前には大手チェーンの書店だけでなく、小規模ながらユニークな書店が多い。こうした店は、大きな書店では見られない独立系の出版物を展示・販売している。代表的な例として、ユアマインドとサンクスブックスが挙げられる。
ユアマインドは、韓国初の独立系書店として有名だ。2009年から韓国の中小出版社の独立系出版物やクリエーターが自主制作したアートブックを販売している。同社は出版社も兼ねており、ソウルアートブックフェア・アンリミテッドエディションを毎年開催している。最初は弘大前の小さなギャラリーで行われていたが、ソウル市立美術館や一民(イルミン)美術館など大きな会場が必要なまでに発展している。ユアマインドは2017年に西橋洞から延禧洞(ヨニドン)に移転したが、週末には人があふれるほど延禧洞の新しい人気スポットになっている。
2009年に始まったアンリミテッドエディション。独立系出版物やアートブックの制作者が集まる大規模なブックフェアだ。弘大エリアに初めてできた独立系書店のユアマインドが主管するイベント。海外からの参加者もいて、国内外のアートブックの最新トレンドを知ることができる。
© Hyojin Lim, Unlimited Edition
弘大前でオープンして延禧洞に移転したユアマインド。書籍の販売だけでなく出版も行い、アーティストとコラボレーションしたファンシーグッズも販売するなど、活動の範囲を広げている。
2011年にオープンしたサンクスブックスは、注目すべき本を厳選・販売するキュレーション書店だ。本のデザインを手がけるスタジオも運営し、出版社と開催する月に一度の企画展示が人気だ。全ての本を網羅しているわけではないが、街の交流の場になっている。
ユアマインドが中小出版社の独立系出版物に重きを置いているのに対し、サンクスブックスは大手出版社の本もセレクションに含めており取り扱いが広い。しかし、独立系出版物フェアやドキュメンタリー上映会など人が集まるきっかけを作り、あまり商業的ではない運営をしている点に共通性がある。
近年、弘大前だけでなく近隣の望遠洞(マンウォンドン)、延南洞(ヨンナムドン)、延禧洞などにユニークな独立系書店がいくつもオープンしている。ガガ77ページ、書店リスボン、アンドーブックス、本屋ヨニ(演戯)など枚挙にいとまがないほど「汎(はん)弘大圏」では独立系書店が大きなトレンドになっている。